
今の色気のないMacOSロゴよりこっちの方が好きだった。

今の色気のないMacOSロゴよりこっちの方が好きだった。
obsoleteなネタなので捨てようと思ったのですが、未だに一定の来訪があるコンテンツは校正して残すことにしました。
私は現在漫画家をやめて、コンピュータ関係の会社に勤めています。下の開設時の言葉では力んでみたものの、コンピュータの魅力には抗することが出来ず、このサイトは漫画・イラストからMacやCGIやUN*Xというように、どんどん技術的な方へシフトしていきました。結局のところ、目的と手段を履き違えた人生を歩んでいるようで、自分にとってコンピュータは道具でなく目的だったようです。現在でも、新しい言語や、新技術を目の当たりにすると、ワクワクします。
漫画では投稿からアシスタント、デビュー、読切、とそこまでは順調に進んだものの、その後なかなか連載まで辿りつけず、かつて学んだ技術的素養を生かし副業としていたコンピュータ系の仕事がインターネットブームもあってどんどん増え、最終的に二足の草鞋を履けなくなって、食えるほうを選択したのです。いやしかし、そういう言い方はカッコよすぎるか。漫画でも結局のところ、目的と手段を履き違えたのが失敗で、漫画で何かを表現したかったはずが、技術を身につけるにつけ、漫画を描くこと自体が目的化してしまったのです。
閑話休題、技術は一夜にして無に帰らなかった。CUIも、Cも、アセンブラも、BASICでさえVBAという形で、バリバリの現役選手です。config.sysやautoexec.batこそ書かないが、バッチファイルやシェルスクリプトは基盤系では必須かつ重要な技術なわりに、書ける人は多くない。
そしてあいかわらず、一定規模以上のプログラムは、設計者の思う通りには動かない魔物なのだ。私はこの魔物と付き合っていきたいと思ったのです。
2010.1.8
小学生の時NECのTK-80にあこがれて、中学に入ってSHARPの4bit(!)ポケコンPC-1211でBASICに触れた。
「受験に専念するため」に姉の友達が長期間貸してくれたクリーンコンピュータMZ-80Kはカセットテープからロードするシステムによっていくつもの顔に変わる、人生の中でトップクラスの衝撃を与えてくれたマシンだった。ハードではなく、ソフトにこそコンピュータの真髄があることを教えてくれたのはこのマシンだった。
高校ではバイトして買ったFUJITSU FM-7、HITACHI S1(FM-7を下取って予約して買ったので、MaskROMが間に合わず、EP-ROMが拡張スロットに刺さっていた!)でモトローラチップの優れたアーキテクチャのマシン語をを学び、大学に入るとPC-9801(名機VM2!5inch2HD-FD/1MBの速さに感動した!)でMS-DOSをたたき込まれ、Turbo-PascalでPascalの構造化プログラミングに震えた。
しかし時代は進み、異論はあるかと思うが、自分としてはCPUのアーキテクチャやプログラミング技術など個人にとってはもはや何の意味をなさない、と考えるようになった。
このコンピュータ関連のあらゆる面からの急速な進化は、一個人が年月をかけて習得した技術を、いつでも一晩で無に返してしまうものだからだ。
「自分のやっていたことはいったいなんだったんだろう?」
そう思ったときコンピュータプログラミングをやめることにした。
しかし今またこうやってコンピュータのキーを叩いている。
Macintoshに出会ったことで、コンピュータが目的でなく道具だということを知った。
こいつは手になじむ。
俺はMacintoshが好きなンだッ!(小池一夫調^^;)
1998.7.15
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